いつもお世話になっているんですマツダレンタカー。飛行場まで家族で行くのに一番安い交通手段はどれだ調べたとき、50キロまで乗り捨て料金が無料のレンタカーではないかということになったんです。まあ、一人当たり100円ちょっとの違いだったんですけどね(笑) 自宅から歩いて10分のところにマツダレンタカーのお店がありますし、今度帰省の際にでも、試してみようかなと家族で話たんですね。100円ですが、家族5人で500円、うーんちょっと考えるところです(笑)マツダレンタカーで八人ノリのワンボックスカーを借りて、両親、姉の家族と妹を連れて大分に温泉旅行してきました。高速が安いのでレンタカーを借りて大人数で一台に乗ったほうが安かったりするんですよね。運転手が私と姉しかいませんので分乗すると、せっかくの温泉旅行が運転疲れで意味が無くなってしまいますし。かと言って普段の生活で大きな車を持っていても仕方ありませんからね、そんな時にレンタカーを借りて節約温泉旅行もいいものです。
◆甲府空襲時、耳鼻科の新人医師−−嶋崎紀代子さん(87)
◇女医2人で治療に奔走
◇男性医師は召集、医療用品も不足 ガーゼもなく傷口にはウジが
甲府市相生2の「嶋崎耳鼻咽喉(いんこう)科医院」院長の嶋崎紀代子さん(87)は、1945年7月の甲府空襲の時、耳鼻科の新人医師だった。ガーゼもなかった。患者の傷口にはウジがはっていた。専門以外の外傷患者も診た。多くの男性医師は戦地に召集され、医療用品も不足する中、治療に奔走した。
嶋崎さんは甲府高等女学校在学中に、教師や父の勧めで医師を志し、40年に帝国女子医専(現東邦大学)に入学。卒業は45年3月の予定だった。ところが、国内中が医師不足だったため、半年繰り上げて44年9月に卒業した。
自宅すぐ近くの県病院(現県立中央病院)の耳鼻科に就職した。このころ、県病院でも、若い男性医師が召集され、ガーゼや包帯などの医療用品も戦地に送られて不足していた。耳鼻科には、蓄のう症の子供たちが詰めかけていた。鼻水を垂らし、服に白い跡をつけた子供たちが、多い時には1日約300人が訪れた。ロビーだけでは入りきらず、病院前の道路にまで列をつくった。
45年7月6日夜〜7日未明の甲府空襲で、県病院も全焼した。手術や治療に使う器具は、愛宕山中腹の同市愛宕町の病院施設に避難させておいたため、焼け残った。このおかげで、約1週間後には、この施設で診療を始めることができた。ラジオで診療再開を知った患者たちが、待ちかねたようにやって来た。
しかし、医師たちも他の市民同様に、自宅が焼けるなどして被災していた。自分のことで必死だった。嶋崎さんは自宅が全焼。間借りした親類宅から出勤すると、働ける医師は、嶋崎さんと、同世代の女性眼科医の2人だけ。空襲によって切り傷やけがを負った外傷患者も多く、看護師たちとともに、医師2人で治療にあたった。
嶋崎さんは、ある男性患者のことが、今も忘れられない。空襲約1週間前に、中耳炎で化膿(かのう)した耳を手術して入院。空襲で、病院から焼け出されていた。診察に来た男性の耳の裏の傷口は悪臭を放ち、首筋には何匹ものウジがはっていた。看護師が数えたところ、大きいもので1センチ以上、小さいもので5ミリほどのウジが計127匹。ウジがうみを食べたため、傷口はきれいに見えた。
傷口に詰めるガーゼがなかった。人工繊維のスフの包帯しかない。消毒器機も空襲で焼けてしまった。看護師が自宅の蒸し器で沸騰消毒したスフ帯を、傷口に入れた。
次の診察の日、スフ帯がうみで汚れていた。スフ帯はガーゼとは違い、なかなかうみを吸わない。うみを食べるウジがいなくなったため、うみがたまるようになっていたのだ。
約2週間がたち、医師たちも徐々に出勤してきた。少しずつ、空襲前の医療現場が戻ってきた。
* * *
嶋崎さんは今も現役の医師だ。空襲直後の医療現場を振り返り、「ピンセットも十分に残っていなかった。使えるものは何でも使いました」と話す。「男の先生がいないから、私たち女医で病院や患者さんを守らないといけない。必死でした」【山口香織】
8月22日朝刊
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◇最優秀選手に織田投手
第4回JABA関東連盟クラブ選手権県予選(県野球協会・毎日新聞甲府支局主催、山梨毎日広告社後援)の決勝が21日、甲府市の県営小瀬球場であり、互いに長打を許さない守備戦で、大富士ベースボールクルーが南アルプス硬式野球倶楽部を4−1の逆転で降し、2年連続2回目の優勝を果たした。最優秀選手には織田正弘投手(大富士)、打撃賞に佐藤勝幸選手(大富士)、敢闘賞には深沢亮投手(南アルプス)がそれぞれ選ばれた。大富士ベースボールクルーは10月22、23日に茨城県日立市で開かれる関東連盟クラブ選手権に出場する。【山下智恵】
◇南ア投手崩れる
▽決勝戦
南アルプス硬式野球倶楽部
010000000=1
00000103×=4
大富士ベースボールクルー
大富士は同点で迎えた八回、中前打で出塁した先頭打者山本光を続く倉田が犠打で二塁へ送ると、加藤が直球を捉えた中前打で山本光を生還させ勝ち越し。さらに佐藤の適時中前打で2点を追加した。南アルプスは、先発深沢亮が直球を中心に七回まで4被安打と踏ん張ったが、終盤崩れた。
◇目標は「叔父超え」
○…南アルプス側ベンチ近くで、ボールボーイをしながら熱戦を見つめるのは深沢亮祐君(14)。現在は中学校の軟式野球部に所属しているが、高校では硬式野球部に入るつもりだ。硬球に慣れるため、叔父・深沢俊二監督の誘いで昨冬から社会人の選手たちに交じって練習している。憧れは桜林秀太主将。遊撃手という同じポジションで、主将として周囲に声をかける姿を尊敬。しかし、あくまで目標は「叔父を超えること」だ。叔父と同様に甲子園の舞台に立ち結果を残すことを夢見て硬球を握る。
8月22日朝刊
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◇男性医師は召集、医療用品も不足 ガーゼもなく傷口にはウジが
甲府市相生2の「嶋崎耳鼻咽喉(いんこう)科医院」院長の嶋崎紀代子さん(87)は、1945年7月の甲府空襲の時、耳鼻科の新人医師だった。ガーゼもなかった。患者の傷口にはウジがはっていた。専門以外の外傷患者も診た。多くの男性医師は戦地に召集され、医療用品も不足する中、治療に奔走した。
嶋崎さんは甲府高等女学校在学中に、教師や父の勧めで医師を志し、40年に帝国女子医専(現東邦大学)に入学。卒業は45年3月の予定だった。ところが、国内中が医師不足だったため、半年繰り上げて44年9月に卒業した。
自宅すぐ近くの県病院(現県立中央病院)の耳鼻科に就職した。このころ、県病院でも、若い男性医師が召集され、ガーゼや包帯などの医療用品も戦地に送られて不足していた。耳鼻科には、蓄のう症の子供たちが詰めかけていた。鼻水を垂らし、服に白い跡をつけた子供たちが、多い時には1日約300人が訪れた。ロビーだけでは入りきらず、病院前の道路にまで列をつくった。
45年7月6日夜〜7日未明の甲府空襲で、県病院も全焼した。手術や治療に使う器具は、愛宕山中腹の同市愛宕町の病院施設に避難させておいたため、焼け残った。このおかげで、約1週間後には、この施設で診療を始めることができた。ラジオで診療再開を知った患者たちが、待ちかねたようにやって来た。
しかし、医師たちも他の市民同様に、自宅が焼けるなどして被災していた。自分のことで必死だった。嶋崎さんは自宅が全焼。間借りした親類宅から出勤すると、働ける医師は、嶋崎さんと、同世代の女性眼科医の2人だけ。空襲によって切り傷やけがを負った外傷患者も多く、看護師たちとともに、医師2人で治療にあたった。
嶋崎さんは、ある男性患者のことが、今も忘れられない。空襲約1週間前に、中耳炎で化膿(かのう)した耳を手術して入院。空襲で、病院から焼け出されていた。診察に来た男性の耳の裏の傷口は悪臭を放ち、首筋には何匹ものウジがはっていた。看護師が数えたところ、大きいもので1センチ以上、小さいもので5ミリほどのウジが計127匹。ウジがうみを食べたため、傷口はきれいに見えた。
傷口に詰めるガーゼがなかった。人工繊維のスフの包帯しかない。消毒器機も空襲で焼けてしまった。看護師が自宅の蒸し器で沸騰消毒したスフ帯を、傷口に入れた。
次の診察の日、スフ帯がうみで汚れていた。スフ帯はガーゼとは違い、なかなかうみを吸わない。うみを食べるウジがいなくなったため、うみがたまるようになっていたのだ。
約2週間がたち、医師たちも徐々に出勤してきた。少しずつ、空襲前の医療現場が戻ってきた。
* * *
嶋崎さんは今も現役の医師だ。空襲直後の医療現場を振り返り、「ピンセットも十分に残っていなかった。使えるものは何でも使いました」と話す。「男の先生がいないから、私たち女医で病院や患者さんを守らないといけない。必死でした」【山口香織】
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▽決勝戦
南アルプス硬式野球倶楽部
010000000=1
00000103×=4
大富士ベースボールクルー
大富士は同点で迎えた八回、中前打で出塁した先頭打者山本光を続く倉田が犠打で二塁へ送ると、加藤が直球を捉えた中前打で山本光を生還させ勝ち越し。さらに佐藤の適時中前打で2点を追加した。南アルプスは、先発深沢亮が直球を中心に七回まで4被安打と踏ん張ったが、終盤崩れた。
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